【NOTOの原点】ストレスを治療するきっかけ/自律神経を整える

  • URLをコピーしました!

 NOTOがストレスと自律神経に特化した治療院になったのには理由があります。

目次

治療を試行錯誤する日々

 以前勤めていた鍼灸院では、治療の基礎を学んだ後、自分の思う治療方法で鍼灸やマッサージをさせて頂いていました。しかし、自由というのは、楽なようで意外と難しいものです。当時の私も患者さんの症状がどうすれば取り除けるかを試行錯誤したり、セミナーに行ってみたり、専門の書籍を読み漁ったりしては実際の患者さんへ治療を試みていました。しかし、書籍やセミナーの知識通りに治療結果が得られないことにとても苦戦していました。

新しい発見、しかし…

 当時は、痛みのある場所を主に治療をしていました。しかし、それでは痛みがなかなか取り除けない事を思い知らされました。そして自分なりに試行錯誤をし患者様の治療部位と治療結果の統計をとってみることにしました。症状の出ている場所はの治療と、症状がある箇所とは違う場所の関連した筋肉や関節への治療を同時に行う治療方法、このふたつの方法では改善の度合いが全く違う事が分かりました。この方法は、運動学をベースにツボと筋肉に刺す方法です。肩の痛みを腰や足首から治療する事も少なくありません。しかし、それでも取れない痛みや症状は、存在しました。

心理的影響を受ける痛み

ピッチャーからキャッチャーへ

 私は、小学生のころから野球を始めました。ポジションはピッチャーでした。ある日、肘を疲労骨折し治療とリハビリ後に復帰をしたのですが、骨折した箇所はくっつき完治したのにも関わらず、投げるたびに痛みがありました。しかも、その痛みには波があり毎日痛いわけではなかったため、練習や試合のたびに今日は痛くないのかな…と不安を毎日抱えていました。結局痛みは治らないまま中学生になりました。中学生でも野球は継続しましたがポジションはキャッチャーでした。これはピッチャーという責務が自分自身にはとても重くプレッシャーに耐えられなかったからでした。すると、今まであれだけ痛かった肘の痛みが嘘のように痛くなくなりました。そしてそれと同時にあれだけ不安を抱えて行くのが嫌だった野球が楽しくも感じるようになりました。

レントゲン後に変わる痛み

 当時の私は、自分でいうのもなんですが周りの人よりも筋力や身体能力が高く成績もある程度残していました。しかしその代償として他人よりも数倍の数のケガを負ってきました。骨折は5回その他全治4か月の重傷は数え切らないほどです。ケガありきの生活を送っていました。病院へ検査へいくのも数知れず、よく整形外科でお世話になっていました。そんな中気付いたことはレントゲンを撮る前ととった後では痛みの感じ方が違うという事です。ケガをした際は、骨折の経験からまずは折れたのではないかと不安に感じていました。しかし、その後、レントゲンを撮った後で骨折ではないと聞いた後の痛みの感じ方は全く違うものでした。

学生時代に出会った患者さんの話

 大学卒業後は、国家資格の鍼灸師を取得するために専門学校へ通いました。3年生では実際に専門学校の治療室へ入り、来院する患者さんへ治療をさせていただく臨床研修がありました。そんなある日、ある女性の患者さんが訪ねてきました。
 その方は朝から首が痛く曲がらないと訴えていました。しかしその日は、いつも担当していた先生が不在で、私が担当を任されました。患者さんは首が痛いものの、首は担当の先生以外には触って欲しくないと話されていました。首を触らずツボを使って治療をする方法も鍼灸にはあるのですが、臨床経験の少ない私ができる自信はありませんでした。帰って頂くのも悪かったので勇気を出して治療をさせて頂きました。
 最初は会話をしてもぎこちなく私だけでなく患者さん自身も不安に思っていたと思います。しかし治療を進めるうちに患者さんと打ち解けて話ができるようになり、ある事を打ち明けてくれました。
それは今朝、夫と口喧嘩をしたという話でした。そしてこの首はその口喧嘩の後から痛くなったとのことでした。話を聞いていくうちに患者さんの身体や筋肉の緊張がどんどん取れているのが分かりました。そして、話が終わった後に確認をしてもらうと『首が楽になってる!!』と一言。私も驚きましたが、とても嬉しかったのを覚えています。

大阪の師との出会い

 卒業を控えた専門学校生3年の時、身体の不調を改善したく色々な治療院へ勉強がてら通っていました。その中で出会った治療院が中村律喜先生が院長を務める鍼灸院でした。まだ学生だった私の話をよく聞いてくれる姿勢、そして一生懸命に身体を施術してくれているのが手から伝わりました。話もとても謙虚で包み込んでくれるような心地よさを受けたのは初めてで、この先生の下で働きたいと強く思い、働かせて頂く事になりました。
 中村先生の師は、鍼灸の国家試験にも名前が出るほどの重鎮の先生で、自律神経を深く研究されている先生でした。
 中村先生のモットーは『自分に厳しく他人に優しく、他人に寄り添う謙虚な気持ちを持つ』です。その通り、中村先生の下にはいろいろな悩みを持つ患者が多く訪れ、中には病院で相談をすることも中村先生に一度相談してから受診しに行くという場面も少なくありませんでした。
 患者を症状として見るのではなくヒトとして見ることも、中村先生から学んだ大きな財産でした。先生とは治療技術は勿論ですがそれ以上に人の思いや感情、思考等ヒトの本質的な話をバックヤードで本当にたくさんお話させて頂きました。

最後に

 学生時代のケガや不眠症の経験、大学時代の心理学で学んだ知識、大阪の師との出会い、そして父の大きな背中を見てきた私ですが、これらの経験から自分がやるべきことがヒトの気持ちに立って心と身体を同時に治療する自律神経の治療であると思いNOTOを開院しました。

学生時代のケガの話

 ここで少し私自身の話をさせて頂きます。先でも話しましたが、小学校や中学校では野球を高校では陸上部へ入部しました。小学校の頃からケガが多かった私は、骨折は5回全治4か月以上のケガは10回以上しています。ケガをしてスポーツを休んでいる日々ほど辛いものはありません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次